地元の農業を支えていけるような人になりたい!
高橋農園
農家
北斗市大野中学校出身
卒業2015年
高橋 盛太郎さん
一緒に農業に従事して知った父母の偉大さ
北斗市本町の農場で主に野菜を作っています。この農場は、明治時代の終わりに隣の本家から独立した曾祖父さんの代から始まりますから、私で4代目になります。髙橋家は、この地で100年以上も前から農業を営んでいることになります。
そういう環境で育ったせいか、私も子供の頃から家の農業を継ごうと思っていました。やはり、家の周りには農家としての昔からの風景が残っていますし、そういう風景が好きなので、ずっと残していきたい思います。
とはいえ有斗高校を卒業して、父母の仕事の手伝い始めた当初は、農業という仕事の厳しさに苦しみました。高校時代も休みの日には家の手伝いをしていたのですが、本業として仕事をしてみると、とにかく身体がきつい!毎日、仕事が終わった後には悲鳴をあげていました。うちの父母は、今までふたりで良くやって来たものだ!と改めて実感して、偉大さを知りました。有斗高校を卒業して5年が過ぎ、今は、すっかり慣れて自分の思うようにも仕事ができるようになりましたが、今も父母に対するその思いは変わりません。
有斗高校で没頭したバレーボールが交流を広げてくれています。
農業を継ぐことを決めていた私ですが農業高校に進学せずに有斗高校を選んだのは、バレーボール部に入りたかったからでした。バレーボールは小学校の頃からやっていて大好きなスポーツだったので、有斗高校でバレーボールをやりたいと思いました。おかげで高校3年間、思う存分にバレーボールに打ち込めました。有斗高校は、男子校ならではのフランクさというか、クラスメートとも気取りなく話ができるので、とても楽しい高校3年間だったと思います。もちろん先輩や先生への礼儀の厳しさもありましたが、その分、先輩にも先生にも良く面倒を見てもらったと思います。バレーボール部の先生も担任の先生も、農業を継いだ私のことを今でも気にかけてくれています。今、地域のバレーボールクラブに所属していたり、大野農業高校のバレーボール部のコーチサポートをしていたりしていますが、そういう機会を与えてくれたのも先生たちのおかげです。自営で働いていると取引先以外の人との付き合いが持てなくなる傾向があるので、バレーボールを通して地域と関われる事に感謝しています。
地元の農業を支えて行けるようにさらに成長していきたい思います。
我が農場の作物は、夏はトマト、南瓜、茄子、胡瓜、トウモロコシ、キャベツ、インゲン豆、えんどう豆、キヌサヤなど。冬はほうれん草や三つ葉など、本当に多品種です。その年によってどれかの品種が不作になったりもするので、品種を多くしておかないと、農家はやっていけません。朝から夜まで忙しく、商品である野菜を丁寧に扱うために神経も使う仕事ですが、やはり、市場に作物を卸しに行って、うちの野菜がお客さんに喜んでもらっていると聞くと嬉しいものですし、やる気も増します。
農業はやればやるほど太陽の光もありがたいし、雨も雪もありがたいと思うものです。幸い、私は有斗高校のバレーボール部で体も鍛えることができましたし、その身体をくれて農業も続けて来てくれた父母に感謝しながら地元の農業を支えて行けるようにこれからさらに成長していきたいと思います。
中学生や有斗高校の皆さんの中にも、これから農家の後継者になる人がおられるかと思いますが、そういう人たちとも助け合っていけるよう頑張りたいと思います。
※2021年に取材した記事です。